先輩後輩
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元ロンドン特派員・論説委員の福本容子さんが得度して京都で修行中(下)=東京毎友会のHPから

2022.08.16

先輩後輩

 二〇一九年九月末、私は定年を待たず退職した。

 「どうして?」とよく尋ねられた。会社やメディア関係、取材先などの人の中には、仏道に入るためという理由が信じられず、悪い冗談だと思った人も少なくなかったようである。

 誰かの影響かもしれないが、男女関係の深刻なもつれ、といった深い事情を想像した人もあったようだ。自分で説明しようと簡単な文書を用意して、「拡散して欲しい」と周囲にも頼んだ。

 その文書を見た他紙の記者仲間からある日、言いにくそうな書き出しのメールが届いた。「怪文書が出回っているようだから注意した方がいい」。

 仏道と自分の日頃の言動があまりにもかけ離れていたので、信じてもらえないのも仕方がない。

 私はバブル最盛期の一九八七年四月、毎日新聞社に入り、英文毎日編集部を振り出しに、本紙外信部、経済部を経て、ロンドンの欧州総局にも四年間、勤務させてもらった。

 経済部時代は、バブル後の金融危機、銀行・証券会社の相次ぐ破綻、不祥事などを追いかけ、ロンドン時代は、現金ユーロの導入という歴史的出来事に立ち会うことができた。

 帰国後は、十年余りを論説室で過ごした。力がないにもかかわらず、貴重な経験をたっぷりさせて頂いた。本当に幸せだったと思う。文章が下手だ、下手だと言われ続けてきた自分が、コラムまで担当させてもらった。

 できる限り、ずっと続けたい。そう思う反面、もう十分ではないか、これ以上欲張ったら執着することになる。そういう気持ちが生まれていたと思う。ただこれは、後付けかもしれない。

 二〇一九年春に、きっかけとなる出来事があった。

 我が家は、祖父の時代から、本門佛立宗を信仰してきた。だから物心ついた頃から、信仰というものが身近にあった。

 実は教員をしていた祖父も、定年を待たず退職して、得度している。結果として同じ道を歩んだわけだが、後に続こうと考えたことは一度もなかった。

 私が現在所属するのは、豊島区南大塚にある遠妙寺というお寺である。そこの信徒で、フィリピン人と結婚し、マニラに住んでいる男性がいた。

 この男性信徒による布教をきっかけとして、フィリピンで入信する現地の人が相次いだ。組織的に取り組んだわけではなかったのに、数年間で二、三百人に膨れ上がったという。そこで、彼らを教導する僧侶が必要となり、現地の事情に最も詳しい、この日本人男性信徒が得度して僧侶となった。

 数年間は順調だったのだが、事情により、この僧侶と現地の家族が急にそろって日本に帰国することとなった。それが一昨年、二〇一九年の春の出来事である。

 私は、毎日新聞時代に、夏休みなどを利用して、何度かフィリピンを訪問しており、現地の信徒とも知り合いになっていた。みんな極貧だが、子どもたちも含め、とにかく笑顔が印象的な人たちばかりである。

 この先、彼らはどうなる?

 生まれた時からの信仰であるキリスト教から改宗してまで入信してくれた大勢の人たちを放っておく、という選択肢はなかった。当面は日本から僧侶が通って、サポートを続けるしかない。でも、誰が?

 信仰の教導で、言葉は不可欠である。いくら正しいことを伝えようとしても、フィリピンの人たちに日本語では話にならない。

 不思議なのだが、自然と、自分が何かさせて頂こう、という思いになった。

 新聞社勤務との両立は物理的に無理なので、やはり退職するしかない。年内か、年度内か、と考えていたところに、早期退職の募集がかかった。そういうことなのね、「今」ってことなのね。妙に納得をした。

 もちろん、経済的なことなど将来について、少し考えた。退職金と年金を合わせていくら。独身で子どもがいないし、ボケたらどうなるのだろう……。二日ほど思いを巡らせた。

 しかし、そういうことは考えて答えが出るものではない。人のために我が身を使おうと決心すれば、仏さまが必ず後押しして下さる――。常日ごろ、教わっているではないか。

 困っている人がいる現状から目を逸らし、自分のことばかり考えていては、いずれ大きな罰が当たり、後悔する。そもそも、田舎育ちの自分が英語を学ぶ環境に恵まれたのも、ここで役に立たせて頂くためだったのではないか。ならばなおさら、自分さえ良ければ、は通用しないはず。会社には恩返しができていないが、会社は人材が豊富だし、自分がいなくて困るということはまずない。

 もともと悩む性格ではないので、あっさりと結論に至った。

 会社を辞めて、信仰のために残りの人生を使わせてもらおうというところまでは決めたが、すぐ得度しようとは当初、考えていなかった。しかし、時間の問題だった。どうせ、と言っては大変失礼だが、相手が日本人であろうと、フィリピン人であろうと、信心の面でお手伝いさせて頂こうというのであれば、得度して教学的な土台と実践面での経験を備えておいた方が、より役に立たせてもらえるのではないか。そう考えた。

 それにしても面白いものである。ほんの三年数カ月前まで、自分が京都に住み、二十代の男子たちと寮生活を送りながら、試験勉強をしたり、炎天下のグラウンドでソフトボールをしたりするようなことになるなどとは、想定外も想定外だった。

 人生の中で起こる一つ一つの事柄は、独立した「点」のように見えるかもしれない。それが後から振り返って眺めると、点は全部つながっていた、とわかるのである。

 これは、米アップル社の創業者、故スティーブ・ジョブズ氏が語った言葉だ。本当にその通りだと実感している。

 例えば私は大学受験で失敗し浪人をした。その時は確かに落ち込んだが、もしあそこで合格していたら、自分は故郷の熊本で教員になっていたに違いない。毎日新聞社に入ることもなければ、外国に住むこともなかっただろう。今、こうして京都の僧侶専門学校に在籍している可能性は限りなくゼロだ。

 ただしこれは偶然ではないのである。信仰的な解釈となって恐縮だが、仏教を正しく実践していれば、必ず良い方向へと導いてもらえる、ということである。ほんの限られた経験と知識でもってしか、物事を見ることができない人間に、何が本当の「成功」や「幸せ」であり、何が「失敗」や「不幸」であるかはわからない。

 だから、仏の知恵、仏智に委ね、その教えの通りに行じていれば、たとえその時点において、難に見舞われたように感じても、何ら不安に思う必要はないのだ。

 蝉時雨の中、そのようなことを思いながら生きる還暦の夏である。

 合掌 

                     (福本 容子、僧名・清容)

=東京毎友会のホームぺージから2022年8月12日

https://www.maiyukai.com/essay#20220812