先輩後輩
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創刊150年記念寄稿 編集制作総センターで「千年紀(ミレニアム)」と「世紀」の変わり目に立ち 会った沢田均さん

2022.04.17

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 1000年と100年。歴史の区切りの年に立ち会えたのは僥倖(ぎょうこう)だったと思います。1999年と2000年の大みそかに、東京本社4階の編集局でそんな体験をさせてもらいました。前者は「千年紀(ミレニアム)」の、後者は「世紀」の変わり目です。どちらの夜も、編集制作総センター(当時)・硬派デスク席で新年を迎えました。
 99年はミレニアムに伴うコンピューターの誤作動、いわゆる2000年(Y2K)問題に揺れた年末です。編集局の大みそかは降版時間が早く、紙面も早版から固まって動きが少ないことが多いため普段よりは気が楽なのですが、この日は少し違っていました。

 政府が午後 6 時、官邸に対策室を設置。当時の小渕恵三首相は「明朝までの数時間に、危機管理体制の真価が問われる」と話しました。新聞製作を含め、どんなハプニングが起きるのか予想がつきません。編集局では、社会部の小川一さんら出稿部門の担当者が、予期せぬ出来事に備えていたと記憶しています。交番会議も「いつもと違う大みそか」のピリッとした雰囲気が漂っていました。Y2K 問題など世間のだれも体験したことがなかったのです。
 加えて、この日の1面トップは「エリツィン大統領辞任」の生ニュースでした。Y2K もロシアも、事態がどう動くかわからず、日付が変わって最終版の降版時間が過ぎても気を抜けませんでした。1面下の「余録」で諏訪正人さんも触れていました。「千年紀の変わり目に遭遇した。(中略)これほどスリリングな新年はない」。ちょっとしたスリルを味わいながら過ごした「1000年に一度」の大みそか。貴重な体験というほかありません。

 1年後は世紀変わりの大みそかでした。ミレニアムより100年に一度の節目の方が、個人的には実感が伴っていたような気がしますが、その扱いは少々悩ましいものでした。21世紀最初の元日1面は北方領土絡みの独自ダネがトップで、またもロシア関連記事。北村正任主筆の論文のほか、これもまた生ニュースで東京・世田谷の宮沢みきおさん一家4人殺害事件、毎日芸術賞社告。そんな中で「21世紀」をどう位置づけるか……。
 Y2K 同様、世紀がわりの経験者などどこを探してもいませんし、100年前の紙面が参考になるとも思えません。考えあぐねているうちに時間だけが過ぎていきました。日付が変わって出稿されてきたのは、JR新宿駅東口でのカウントダウン写真と20行足らずの原稿です。こんな扱いでいいのかどうか、最後まで自問自答しながら縦位置4段の写真に見出しをつけて最終版を降版したのでした。

 「世紀を区切る時計の針は、いつもの通り静かに動いた。月も星も枯れ枝を震わす冬の嵐も、例年と変わることがない。一瞬、揺らぐのは私たち人間の心だけである」

 刷り上がった最終版の、こんな印象的な書き出しで始まる主筆論文を読み返しながら、「みんな同じだ」と自分に言い聞かせ、少し救われた思いがしたものです。当時はたまたまデスク出番をつける立場にいたので、深く考えもせずに大みそか勤務についたのですが、今考えると、そんな境遇にいたこと自
体が幸運でした。

 次のミレニアムはまだ遠い未来。まずは22世紀の毎日新聞がどんな姿になっているのかが気になります。2099年の大みそか。自分と同じように頭を悩ませながら、まだ「毎日新聞」を作ってくれている人たちがいるなら、それはそれでうれしいことかもしれません。
                               (沢田 均)