2020.12.10
先輩後輩
元東京本社印刷部長・山野井孝有さん(88歳)が『我慢できない 許せない』と題した意見集を自費出版した。“老いてますます”の気概が溢れている。
毎日新聞労組で、ガンガン闘っていた時、山野井さんは口角泡を飛ばして喋り捲ると同時に、ニュース原稿などもよく書いていた。自他ともに認める記憶力の良さと速記を習った経験と、社会部出身の毎日新聞労組委員長の増田滋さんから「山野井君は話がうまいから、話した通りに書けば読みやすい文章になる」と激励されたこともあって、書くのは結構早かった。ただ江戸っ子なので、話すと「ひ」と「し」が区別できない。山野井さんは「そんなこと書くなよ」と言うかもしれないが、人間は誰しも自分の弱点は隠したいもの。しかし山野井さんは弱点を理由に怖じけるのではなく、伝えたい思いを徹底して優先して貫いている。議事規則改正問題で大騒動になった志道執行部時代、書記長の山野井さんと一緒に組織部長をしていた大住広人さんは、「山おやじ」と言いながらも今なお山野井さんの生き方を評価している。
山野井さんのこれまでの人生の軌跡は、1932年の誕生から1952年の青年期までが20年。1953年から1987年の毎日新聞時代が34年。そして1987年から現在までの33年と、大きく分けて3つになる。第1期は、誕生から12歳でゼロ戦部品製造に動員され、東京大空襲の残酷に出会って「この敵必ず討つ」とグライダー特攻に志願。戦後は14歳で労働組合結成に参加した時期。第2期は、「労働組合活動はしない」と言って入社した毎日新聞ではユニオンショップで組合員になるやいなや、すぐに活動を開始し、労働組合運動の延長戦上で印刷部長となって定年退職した期間。そして第3期は、定年退職後から現在まで。本書は、その第3期に書いたものをまとめたものだ。人間、「終わり良ければすべて良し」「棺を蓋いて事定まる」と言う。これは、晩年の生き方が大切だということを意味している。青年時代の行動や考えを「若気の至り」とか言ってごまかし、現在の立場を正当化する人もいるが、山野井さんの人生には、それは微塵もない。正直一直線だ。
山野井さんは5年前の2015年11月、83歳の時に最愛の孝子さんに先立たれた。そして5年が経った。「一人で生活するということは本当に大変だよ」の愚痴を電話やメールで何度も聞く。今年になると「88歳だよ。あと一年はもたないかもしれないなあ……」と口にするようになった。
しかし、その一方、社会の不義不正、戦争の道へと暴走する政治に対する怒りは、身体の衰えと反比例するように燃え盛るばかりだ。山野井さんの人生からは、サムエル・ウルマンの詩「年を重ねただけで 人は老いない 理想を失うとき はじめて老いる」と、渥美清・風天の名句「お遍路が一列に行く虹の中」が浮かんでくる。
「働く者が主人公の社会を!」との理想の虹に向かって一直線に歩いてゆく山野井さんの後ろ姿が見えるようだ。山野井さんの闘い続けた人生に〝乾杯!
(福島 清)
=東京毎友会のホームページから2020年12月18日
(東京毎友会→新刊紹介)https://www.maiyukai.com/book#20201218
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