2026.09.21
先輩後輩
悪石島という島をご存じですか。鹿児島県トカラ列島の有人7島の北から5番目、2025年7月に震度6弱の地震を観測し、全国ニュースになった島です。またユネスコの無形文化遺産に登録された奇祭「ボゼ祭り」でも知られています。

面積は東京ディズニーリゾートの3・7倍にあたる7・49平方kmで標高は584m。今年8月31日現在、人口は87人(41世帯)で常駐の医師も警察官もいません。〝悪い石〟の由来については「島のあちこちにある石が崖から落ちてきそうだから」「平家の落人が、追手が来たがらないような名を付けた」などの説があります。
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夏の終わり、長年の憧れだったこの島を訪ねました。ネットで宿泊先を探していた時、目に留まったのが「悪石島コミューン」でした。ワ―ケーションを目的に鹿児島県十島村が整備した1泊4000円の宿泊研修施設で、完備された通信環境の下、自炊しながら仕事と観光ができます。折しも編集委員として関わっている放送業界誌「GALAC」の原稿の締め切りが迫っていた時期。興味津々で村役場地域振興課に申し込みました。
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鹿児島港から週2便の村営「フェリーとしま2」で11時間。9月1日午前10時、悪石島やすら浜港に降り立ちました。隣にいたのは新学期が始まり、帰省先から戻って来た山海留学の小中学生たち。「お帰り!」と声をかけた里親の車に乗り込んだ彼らを横目に、僕はレンタルの電動アシスト自転車で急坂を登り島の中腹にあるコミューンへ。そこはテレワーク設備を備えた10帖の部屋と、広間として使える12帖の2室からなる一軒家で貸し切りでした。

島には食堂もコンビニもありません。5軒ある民宿は3食提供してくれますが、コミューンは自炊専用です。だから持参したレトルトカレーやカップ麺が、ランチやディナーになりました。この選択が後に災難を招くことになろうとはまだ知る由はありませんでした。
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島ではクレジットカードが使える店は皆無です。だからまず唯一の金融機関で2017年に開局した悪石島簡易郵便局でお金を下ろしました。その後、ガジュマルやビロウがうっそうと茂る密林を探索し、島の来訪神「ボゼ」の記念施設を見学。戦時中に米軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑で手を合わせ、熱すぎる温泉で疲れを癒しました。
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胸騒ぎがしたのは到着2日目の9月2日のこと。迷走台風24号が島に近づいてきたのです。夜になると風雨が強くなり、翌朝は「こんなのは初めて」と島民も驚愕した暴風雨に。避難指示も発令されました。近くの公民館が避難所になりましたが、僕は同じ指定避難所で今回は開放されなかったコミューンに一人留まりました。
それからの3日間は部屋から一歩も出られず、たびたび映らなくなるテレビの気象情報でトカラ列島が報じられることはほとんどありません。一方、時間だけはたっぷりできたので原稿と誌面企画をまとめ、1000㎞以上離れた東京・新宿の編集部に出稿。テレビもラジオの視聴が困難な環境での放送関連の執筆は皮肉でした。
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衝撃は続きました。乗船予定のフェリーが欠航し、島への入港が3日後になったのです。予備の食料と常用薬は2日分だったので底をつくことが確実になりました。藁にもすがる思いでコミューンの管理人に相談。欠航による物資不足で自身の食料も足らなくなるのに、自宅から米や缶詰を持ってきてくれました。もちろん代金は払いましたが、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。幸い停電や断水はなかったので炊飯器で米を炊き、缶詰のツナをおかずに空腹を満たしました。待ち続けて3日、しかし朗報は先送りになりました。出港がさらに1日延びたのです。
台風が過ぎ去り、島が晴れわたったのは9月7日。自転車でノンゼ岬やミナミイシガメが生息する沼を回り、村出張所で乗船券を購入しました。
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それでも2度に渡って欠航、延期に見舞われたので、島内の有線放送で「本日のフェリーとしまは――」とアナウンスが流れるたびに心臓が縮み上がりました。還暦を過ぎてこんなサバイバル体験をするとは夢にも思いませんでした。
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9月8日夜、念願のフェリーが鹿児島港を出て、9月9日午前10時に悪石島に船影を見せました。小宝島、宝島経由でレストランもスーパーも空港もある大都会、奄美大島の名瀬に向かいました。そして奄美空港から大阪・伊丹空港へ。想像を超えた11日間の島旅は終わりました。
島で目撃した動物は牛、ヤギ、イタチの子どもらしき哺乳類、シギ、ツクツクボウシなど。出会った人は赴任1年半という村立の義務教育学校「悪石島学園」の校長、東京・立川から嫁いできた民宿のおかみと娘、「(足止めについて)これが十島村なんですよ」と笑顔で説明してくれた村出張所の女性、いつも「こんにちわ」と挨拶をする子どもたち、悪石島の名前が入った消印があることを教えてくれた郵便局の女性、そして大阪・堺から移住した管理人兼港湾作業員兼漁師の男性。皆さん明るくここが絶海の孤島だということを忘れさせてくれました。「もうこりごり」という気持ちにならなかったのは手つかずの大自然と温かい島民のおかげ。だから島旅はやめられません。
(北林 靖彦)
=1986年入社。サンデー毎日、東阪学芸部、事業本部、青森・神戸両支局などを歴任し、2020年選択定年退職。