閑・感・観~寄稿コーナー~
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中村秀明のイタリアだより(4)地域の食に息づく理念

2026.08.27

閑・感・観~寄稿コーナー~

 イタリアのどんなところに魅せられるかと聞かれ、「食べ物・料理」をあげない人はいないでしょう。私たちも2001年に初めてイタリアを訪れて以来、各地に足をのばし、ついには「よし移住しよう」と決めた動機のひとつは、本場の味をもっと知りたいという欲望でした。

 そんな欲にかられ、あちこちの食材に出合い、食べてみて気がついたのは、この国には「イタリア料理」という概念はないというシンプルな事実でした。1回目で書いた「イタリアという国はあっても、イタリア人はいない」という言葉が象徴する地域の独自性は、料理の世界において一段ときわだっているのです。

 たとえば、ここボローニャでイカ墨パスタやアサリのパスタを、あるいはスパゲティ・カルボナーラを食べたいと言っても、お勧めはできません。メニューに載せてある店もありますが、たぶんそれは業務用のイカ墨ソース、やせた身の冷凍アサリ、生クリームで濃厚な味つけのカルボナーラソース‥‥。

 イカ墨はベネチアで、アサリのパスタは南の海辺の街で、カルボナーラはローマで、独自のレシピに沿った料理として存在します。それぞれの地域で、その土地で生産されたワインとともに味わうのをお勧めしたいです。ボローニャだと、日本で食べるのと、さして変わらない味かもしれません。素材や調理法へのこだわり、料理にまつわる物語にもふれることはできないでしょう。

 さらに多くの人がイタリア料理だと思っていても、実はそうではないものがあります。そこで問題です。日本でなじみの深い料理のうち、イタリアに存在しないのは、どれでしょうか?

 1、シーザーサラダ

 2、ミラノ風ドリア

 3、スパゲティ・ボロネーゼ

 

 答えは「3つとも存在しない」です。

 

 スパゲティ・ボロネーゼについては、2019年初め、当時のメローラ市長が「この街の料理ではない」と発言し、物議を呼びました。ボローニャにあるのは「タリアテッレ・アル・ラグー」と呼ぶパスタです。牛の粗ひき肉を野菜と煮込んで平たい卵麺のタリアテッレにからめたものです。酸味のきいたトマトソースでひき肉を煮込みスパゲッティにからめたものとは、味も風味も食感もまるで異なる一皿でしょう。スパゲティをはじめ乾麺はナポリなど南部で好まれ、ボローニャなどの北部は伝統的に卵を練り込んだ生麺という食の歴史、歩んだ道のりの違いもあります

これがタリアテッレ・アル・ラグー

 市長は「ボローニャのものではない料理が、世界的に有名なのは不思議だ。おかげで街の名前が知られるのは嬉しいが、できれば私たちの食文化に根ざした料理で知ってほしい」とコメントしました。ボローニャ市長のこの発言については、了見が狭くて独善的、なんとも大人げないとの批判もありました。料理における自由なアレンジや創作が前向きに語られる日本なら、「おいしければいいじゃない」と冷笑されかねないでしょう。

 しかし、こうした考えと発言の背景には、ひとつの理念があります。1980年代末にイタリア発で世界に広がった「スローフード運動」です。ローマでのマクドナルドの出店を知ったピエモンテ州の小さな村の生産者、食堂経営者らの話し合いから始まりました。きっかけとなる話し合いの場となった小さな食堂「Unione」は、いまもランゲ地方のトレイーゾで代替わりして営業を続けています。

 彼らは議論の末、ファーストフードを攻撃し追い出すのではなく、対抗軸となりえる食のあり方を考え、自らの手で確立し、持続させていけばいいのだと考えました。伝統や歴史に根ざした地域の料理の価値を再認識し、地域の食材や産物を守り、将来に受け継ごうとする取り組みです。「食のグローバル化」や効率主義、省力化とは一線を画す、ある意味において保守的で頑固とも言える土着的な活動でした。いまや料理にとどまらず、ワイン、チーズ、ハムやサラミなどの加工肉、オリーブオイル、野菜などが特定の地域と関連づけて語られるようになりました。

スローフード運動が生まれた食堂「Unione」
「Unione」で食べた前菜盛り合わせ、サラミや牛肉のタルタルなどの地域の味がたくさん

 そうした意識が30年以上かけて各地で着実に浸透し、「スパゲティ・ボロネーゼは私たちの料理ではない」と言わせているのです。このイタリアで8年暮らし、いろいろな地域の料理と味、それにまつわる物語にふれた私は、このような食に対する考え、取り組みに大きな敬意を抱くようになりました。

                       (元経済部、中村秀明)