閑・感・観~寄稿コーナー~
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中村秀明のイタリアだより(3) ボローニャの一番熱い日

2026.07.30

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   日本でも報道されているように今年のヨーロッパは暑い。とりわけ、ここボローニャは南に丘陵地があって海には遠く、盆地のような蒸し暑さに包まれます。比較的涼しい地域に住む人は「ボローニャか、君たちはオーブンの中にいるんだね」と気の毒そうに顔をしかめます。

 この暑さは、イタリアに暮らし始めた8年前よりもひどくになりました。北アフリカからの熱波がやってくる時期は早くなり、回数は増え、期間も長くなっています。朝の最低気温が20℃を下回らない熱帯夜(イタリアの基準は日本と異なります)は昨年76夜だったが、今年はもっと増えるはずです。

 そんな暑いボローニャが、最も熱くなる日が8月2日です。多くのボロネーゼが、この日を沈痛な思いとある種の決意をもって迎えます。

 1980年のこの日、午前10時25分にボローニャ中央駅の待合室でスーツケースに隠された15キロの爆薬がさく裂しました。3歳のアンジェラから86歳のアントニオまで85人の命を奪い、216人を負傷させた無差別テロでした。実行犯は極右ネオ・ファシストでしたが、計画立案と準備には官僚や軍情報機関の幹部、シチリアマフィアが関与した疑いがあり、数人が起訴されています(裁判では無罪)。

爆発直後の様子、待合室のあった2階建ての建物は吹き飛んだ。右上の時計が10時25分を指して止まっている

 イタリアでは、この事件までの約10数年間を「鉛の時代」と呼びます。モロ首相を誘拐し射殺した極左の「赤い旅団」が日本では有名ですが、彼らの仕業に見せかけた極右の爆破テロや暗殺も各地で相次ぎました。そうした事件を次々に起こすことで、社会に緊張と不安を広げ疑心暗鬼をまん延させ、「結束」や「秩序」を掲げる強権的な政権樹立に人々を駆り立てる狙いでした。

 背景には、戦後ヨーロッパの冷戦状況があります。東欧での民主化運動とソ連による軍事介入、その後の緊張緩和(デタント)の動き、ソ連のアフガン侵攻に始まる「新しい冷戦」の時代へと、大きな振幅を繰り返しました。一方、イタリアでは「ユーロコミュニズム」と呼ばれる現実路線の共産党が力を持ち、一時は政権を担う可能性も浮上して、カトリックの国の保守層や右派をあわてさせました。

 こうした大きなうねりにあおられた政治の暗闘、暴力の連鎖が繰り広げられる中で、85人は殺されたのです。左派色の濃い街ボローニャは格好の標的でした。8月初めの土曜日だっただけにバカンスに向かう家族連れ、駅に恋人や友人を迎えにきた人、ドイツ人家族や英国から来たカップルもいました。その中に埼玉県出身の早大生・関口巌さんがいました。当時19歳、私より二歳年下です。「イタリアの芸術文化を学びたい」と奨学金を得て、7月末からフィレンツェに滞在。この日はボローニャからベネチアに向かう列車に乗り換えるため待合室にいました。遺品から彼が日記を記しながら、最期の瞬間を迎えたことがわかっています。

現在の待合室に残る爆発跡と犠牲者の名前・年齢を刻んだ石のプレート。左側中ほどにIwao Sekiguchi 20とあるが、記録によると生年月日は1960年 8月16日

 「8月2日、ボローニャ駅。テレーザに電話したが、留守だった。それでベネチアに行くため11時11分の列車に乗る。5000リラのピクニックランチを買った。肉、卵、ジャガイモ、パン、ワインが入っている。それを食べながら書いている……」

 毎年8月2日は、遺族会や市長をはじめ数千人の市民がマッジョーレ広場から中央駅まで歩き、駅前で集会を開きます。10時25分にあわせ、列車の警笛が高く鳴り響き、黙祷が捧げられます。あの日を思い出し、涙をぬぐう人もいます。肩を抱き合う老夫婦もいます。参加者の合言葉は「私たちは決して忘れない」。

昨年8月2日、駅前広場であった追悼集会に詰めかけた大勢の市民。右手に爆発のあった建物(同じ場所に待合室を再建した)が見える

 犠牲となった人たちのこと、それぞれに人生があったこと、彼ら彼女らの奪われた未来と希望について、それらを忘れないという追悼の思いだけではありません。実は、この爆破事件のあった「鉛の時代」だけでなく、1990年代にも起きた無差別テロ、検察官爆殺、ジャーナリストや学者暗殺など社会を揺るがした事件のほとんどが全体像は明らかにされず、起訴されても最終的に無罪や時効となって不可解さとやり切れなさを残したままなのです。それは、イタリアの深い大きな「闇」であり、民主国家の汚点といってもいいでしょう。

 忘れないとは、事件の真相は解明されておらず、まだ罰されるべき者がおり、正義はいまだに実現していない、と私たちは声をあげ続けていくという決意でもあるのです。

                      (元経済部、中村 秀明)